東京地方裁判所 昭和57年(行ウ)82号 判決 1990年10月11日
原告 佐藤アイ子
右訴訟代理人弁護士 杉本昌純
同 大口昭彦
右訴訟複代理人弁護士 三島浩司
被告 地方公務員災害補償基金東京都支部長 鈴木俊一
右訴訟代理人弁護士 大山英雄
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求める裁判
一 請求の趣旨
1 被告が原告に対し、昭和五二年一一月一四日付けでした地方公務員災害補償法に基づく公務外認定処分を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
二 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨。
第二当事者双方の主張
一 請求の原因
1 原告の亡夫佐藤治雄(以下「治雄」という。)は、東京都の主事として、東京都下水道局東部管理事務所維持課木場ポンプ所(以下「木場ポンプ所」という。)に勤務していたが、昭和五一年八月二五日午後二時ころ、同ポンプ所で勤務中に発症し、木場病院に収容されたが、同日午後二時二〇分ころ、心筋梗塞により五三歳で死亡した(以下「本件災害」という。)。
2 原告は、本件災害は公務に起因したものであるとして、被告に対し、地方公務員災害補償法に基づく公務災害の認定を請求したところ、被告は、昭和五二年一一月一四日付けで、本件災害を公務外の災害と認定した(以下「本件処分」という。)。
3 原告は、本件処分を不服として、地方公務員災害補償基金東京都支部審査会に審査請求をしたが、同審査会は、昭和五六年一月一六日付けで、右請求を棄却する裁決をしたので、更に、原告は、地方公務員災害補償審査会に再審査を請求したところ、同審査会は、昭和五七年三月一〇日付けで、右再審査請求を棄却する裁決をし、昭和五七年四月一日付けで、これを原告に通知した。
4 しかし、治雄の死亡は、公務上の災害によるものであって、被告がこれを公務外と認定した本件処分は違法である。
(一) 治雄の経歴
治雄は、大正一二年三月二六日の生まれで、民間企業の勤務を経て、昭和三六年四月一日、東京都水道局に工員として採用され、同日付けで同局下水道本部北部下水道管理事務所維持課町屋ポンプ所勤務となった。そして、昭和三七年四月一日、東京都下水道局の発足に伴い、同局職員となり、昭和三九年四月同局北部管理事務所維持課地蔵堀ポンプ所、昭和四一年四月同課町屋ポンプ所、昭和四五年五月同局北部第一管理事務所維持課南千住ポンプ所、昭和四七年五月同課橋場ポンプ所を経て、昭和四九年五月二七日、木場ポンプ所勤務となった。
(二) 治雄の業務内容と作業環境
治雄が従事していた業務内容は、二四時間体制でポンプ所を稼働させるための直員すなわち交代制要員として、各種機械の稼働状況の監視、各機械の定期・随時の点検及び構内設備の清掃・修理等を行うことであった。治雄は、採用以来一五年余の間、いずれのポンプ所においても、専ら、この直員としての職務に従事してきた。
(1) 交代制勤務の負担
治雄は、採用以来一五年余の間、右の交代制勤務に従事していたが、その形態は、制度の改変や転勤による職場の変更により、次のように変化した。
昭和三六年四月から昭和四六年九月までは、三週を一サイクルとし、その間に一直(規程上の勤務時間は〇時から八時四五分であるが、慣行上は前日の二一時から二二時の間に三直と交代していた。)、二直(勤務時間は八時から一六時四五分)及び三直(規程上の勤務時間は一六時から翌日の〇時四五分であるが、慣行上は当日の二一時から二二時の間に一直と交代していた。)をそれぞれ六日間連続して勤務していた。一直勤務の開始時間を二一時とすると、一一時間四五分の長時間勤務であり、一直明けから次の一直勤務の開始時間までのいわゆる勤務間隔は一二時間一五分と非常に短かった。また、昭和三九年から昭和四五年三月の間は一直勤務が六日間連続したが、この場合の一週間の勤務時間は七〇時間にも及んだ。週休は一週間に一日であり、週休間隔は六日であったが、基本的に日曜日にはとれず、週休日の翌日が一直勤務にあたる場合には、週休日の二一時には勤務に就かなければならないため、全一日を週休日として利用することができなかった。
昭和四六年一〇月に三直勤務と一直勤務を連続して勤務する制度(以下「三・一通し勤務」という。)が採り入れられたため、同月から昭和四八年五月の間は、三週を一サイクルとし、週休日を挟んで二直勤務三回を連続して行い、二日の週休日を挟んで三・一通し勤務三回を連続して行うことになった。勤務時間は、三週を通してみると一週平均四八時間であるが、三・一通し勤務は、二つの勤務を連続して行うもので勤務間隔時間がゼロの形態であり、一七時間以上に及ぶ深夜勤を含む長時間勤務が常態化し、深夜勤務は六日連続し、二日の週休を挟んで更に六日連続するようになった。また、週休間隔は九日になってしまった。
昭和四八年六月から直勤務者に対しても週四四時間制度が採られるようになったため、同月から昭和五一年八月までは、四週を一サイクルとし、三・一通し勤務五回、週休、直休(勤務が割り振られていない日)各一日、三・一通し勤務一回、二直勤務二回、週休一日、二直勤務四回、週休一日、二直勤務二回、三・一通し勤務一回、直休、週休各一日という形で勤務することになった。深夜勤務の連続日数は、最長一〇日に増え、四週での週休数(直休を含む。)は六日となったが、週休間隔は最長一〇日と更に拡大されてしまった。
深夜勤務における仮眠については、規程上の定めはないが、木場ポンプ所では四名の直者が二名ずつ交代で二~三時間の仮眠をとっていた。しかし、仮眠をとれるのは晴天でかつ異常がないときに限られ、監視室で警報ブザーが鳴ると約七〇デシベルにもなり、著しい睡眠障害となっていた。
(2) 作業内容とその負担
直勤務者の作業内容とその負担を木場ポンプ所を例にあげて説明すると、次のとおりであるが、ポンプ所の業務は、それを誤れば河川等の水質の悪化や市街地の浸水等に結びつく極めて公共性の高いものであり、個々の職員に強い責任感と緊張感をもたらすものである。
① 点検作業
日常点検の主たる対象は、沈砂池設備に関するものとポンプ設備に関するものとに分けられ、前者は更に二つに分けられる。沈砂池設備に関するもののうち、し渣・沈砂ホッパー等を点検するものは、歩行距離約二〇〇メートル、延垂直距離一六メートル、階段数七二段に達し、汚水スクリーン等を点検するものは、歩行距離約二〇〇メートル、延垂直距離一〇メートル、階段数七〇段に達する。この作業は点検巡視と清掃作業を含んだものであり、その一巡にはいずれも約三〇分を要し、各直において一回は実施する。そして、この作業は、夏は湿気と高温下で、冬は屋外とさして変わらぬ寒さの中で行われるものである。ポンプ設備に関するものの点検にあたっては、地下二階まで昇降しなければならず、歩行距離約一二〇メートル、延垂直距離三一・六メートル、階段数一六〇段に及び、所要時間は約二〇分である。この作業は、急な多数の階段を昇降しなければならず、肉体的にも負担の大きいものであり、ポンプ設備の異常はポンプ所の能力に直接影響するため、点検には細心の注意が要求され、照明も不十分な薄暗い地下室での一人作業であるため、精神的にもかなりの不安感、圧迫感を受ける作業である。
この日常点検のほかに、日常点検や監視作業によって異常が発見されたときに行われる臨時点検、年、月あるいは週に一回というように、定期的に行われる定期点検があった。
② 監視作業
監視室において、機器の運転状態の確認と警報のキャッチを行うもので、交代制勤務の中枢を占める作業である。監視業務は直接的に筋力を使うものではないが、このことからその労働負担の大きさを看過してはならない。ポンプ所における工程の円滑な進行は、下水揚水から動力供給にわたる多数の施設、設備が一体となって稼働して初めて達成されるのであるが、その一切を統括しているのが監視室であり、そこでの各機械の運転状況を示す多数のメーターの変化、変動の一つの見落としも溢水という重大な結果を招く危険性があるため、わずかの変化も見落とすまいとする精神的集中は非常なものであり、このような精神的緊張の連続に伴う執拗な神経的疲労は、業務自体の単調さと孤独な作業環境とあいまって、作業従事者に大きな負担を与えるのである。
③ 補修作業
補修作業は、監視作業、点検作業によって発見された機器の破壊、故障の場合あるいは異常の発生が予想される場合に実施される。電気関係の補修作業は、部品の取換、接点等の磨き作業であり、同一場所での長時間作業であるため、悪い作業環境下での労働負担は極めて大きい。機械的補修作業は、不衛生な下水の飛沫を浴び、全身汗と油にまみれての作業である。これは、水中部の補修に特に顕著であり、スプロケットからチェーンがはずれた場合などは、沈砂池の下水を全部排除できないため胴付長靴を履いての作業となる。このような機器の故障は、各ポンプ所で約一〇日に一回の割合で起きており、年間約四〇回ということになる。
④ ポンプ運転作業
木場ポンプ所の場合、ポンプの運転操作は監視室からの遠方操作によって行うことができる。しかし、ポンプ運転の労働負担を表面的な動作量だけで評価することは正しくない。降雨時のポンプ運転作業にあたっては、雨水ポンプをいつ起動させ放流を開始するかの判断において高い精神的緊張を余儀なくされるのである。すなわち、東京都下水道局からは汚れを三倍に希釈してから放流するよう指導されているが、どのポンプ所でも、流入する汚水量の二倍の雨水が混入してきたことを知らせる装置はついておらず、いつ放流を開始するかは流入渠や沈砂池の水位と今後予想される降雨総量や時間当たりの降雨量に基づく直勤務者の判断による。早めに放流を開始してその後の総雨量が結果的に少なかったような場合には、汚水の多くを河川に放流してしまうことになり、雨水吐き付近の臭気に対しては住民から電話で強い叱責を受けることもたびたびあり、逆に雨水ポンプの起動のタイミングが遅れれば、流入渠や沈砂池の危険水位を突破し、排水のためポンプの運転とそれに伴う諸作業に忙殺されることになる。
このように降雨時の雨水ポンプの起動、停止は、早すぎても遅すぎてもいけなく、降雨状況、沈砂池の水位等をみて判断するのであるが、かなり精神的緊張の高い状態に置かれるのである。
⑤ ディーゼルエンジン運転作業
木場ポンプ所では、停電対策のためディーゼル高圧発電機を設置していたが、雨水ポンプの二台目以降の運転にはディーゼル高圧発電機を常用運転することになっていた。この発電機にはディーゼルエンジンが使われており、シリンダー内に供給された燃料が爆発せずに始動の失敗を起こすことがあり、再始動のためのわずかな時間が降雨への対応に大きく影響するため、迅速かつ的確な運転操作が必要とされ、運転の確認ができるまでは相当な精神的緊張を伴う。更に、このディーゼル高圧発電機の運転に伴って作業環境が高い騒音にさらされるため、精神的な緊張は倍加される。
⑥ 沈砂池作業
木場ポンプ所では、ろ格機のかき上げ、かき落としとも機械式であるため、他のポンプ所のような人力による作業はないが、点検時に、ろ格機からの落ち口、コンベアーのベルト、ドラム、スクレーバーにからみついたし渣をとび口でかき取らなければならない。降雨時には流入するし渣がろ格機の縦格子に一挙に押し寄せるため、レーキが反転してかき上げが行われないことがあり、その場合には、レーキを足などで押さえつけ反転しないようにしながら約五メートルの柄のフォークでし渣をレーキからかき取り、かき上げる量を少なくする作業をするが、これを九台のろ格機について次々に行わなければならない。更に、汚水揚泥機を連続運転しなければならない。
(3) 転勤による負担
治雄は、採用以来五回の転勤を経験したが、それぞれの在職年数は、町屋ポンプ所三年、地蔵堀ポンプ所二年、町屋ポンプ所四年一月、南千住ポンプ所二年一月、橋場ポンプ所二年、木場ポンプ所二年三月である。
東京都水道局と東京水道労働組合との間では、昭和三九年一月に企業職員の配置替の基準に関する覚書が締結されたが、それによれば、「労務系の職種に従事する者の配置替は、同一事業所に五年乃至七年を越えて継続勤務する者の中から行う。」と定められていた。また、ポンプ所の直員の配置替は、実際には特に希望する場合を除いては概ね一〇年程度で行われていたにもかかわらず、治雄の場合には、希望をしないのに極めて短い期間での配置替が繰り返し行われていたのである。
それぞれのポンプ所では、その設備規模、種類等に差異があり、更に個々の設備には「くせ」ともいうべき特有の個性があるのが通例である。また、同程度の雨量、強度であっても、降り始めてからポンプ所に到達するまでの時間、沈砂池の水位の上昇の速度等にはポンプ所ごとの特徴があり、そのことはポンプの起動、追加、エンジン始動、沈砂池作業等の一連の作業に差異を生じせしめており、これらのことを習得し降雨時の的確な対応、故障修理等に習熟するには、時間を要し、転勤者の労働負担は極めて大きいものがある。
そして、昭和四九年五月の橋場ポンプ所から木場ポンプ所への転勤は、治雄にとってことに負担の大きなものであった。木場ポンプ所は、治雄がこれまで勤務してきた各ポンプ所に比べて規模が大きく(例えば、揚水量は、昭和五〇年度で橋場ポンプ所は二〇万立法メートルであり、木場ポンプ所は三〇〇〇万立法メートルである。)、設備の規模、揚水量等は格段に大きくなり、操作監視の方法は、それまで治雄が全く経験したことのない遠方操作・遠方監視型(起動、停止などの操作と運転中の監視をすべて監視操作盤によって行うもの)であり、各種機器のシステムや制御方式も近代的な水準のもので、かなりの専門的な知識を要求され、このような従来の経験や蓄積された知識の一切を否定する近代的な技術への適応が、五一歳の治雄にとって過大な負担であったことはいうまでもない。
更に、木場ポンプ所は地上三階、地下二階の建物であり、各作業に際して行う階段の昇降の頻度は、他のポンプ所に比べて格段に増加した。このような作業内容の量の増大、質の変化による負担は、治雄の経験を遙かに越える極めて大きいものであった。
(4) 作業環境の特徴
木場ポンプ所を例に作業環境の特徴を述べると、次のとおりである。
① 騒音
木場ポンプ所における騒音の測定結果によれば、汚水ポンプは八〇デシベル(ポンプ及び諸機械は機械本体から一メートル離れた場所での数値)、ろ格機は七〇デシベル、バケットコレクターは七三デシベル、洗砂機は七五デシベルの騒音を出している。汚水ポンプを三台運転しているときはポンプ室のどこでも七〇デシベル以上、沈砂池でも六七から七〇デシベルの騒音が測定されている。したがって、点検作業や沈砂池作業では常に約七〇デシベルの騒音にさらされていることになる。また、降雨時にディーゼル発電機を運転すると、発電機室で約一〇〇デシベル、監視室でドアを開けたとき七九デシベル、ドアを閉めたとき六八デシベルの騒音である。
② 臭気
点検作業、沈砂池作業等は、硫化水素やメチル・メルカブタン等の悪臭にとりかこまれてのものであった。悪臭は循環器系、内分泌系、精神状態等に影響を与えることが指摘されている。
③ 過冷房
木場ポンプ所では、夏季における監視室の冷房は管理事務所全体の冷房と別個に設置されており、監視室に設置してある機器を保護するという発想のもとに、室温は二〇度位に設定され、過冷房の状態であった。
④ 寒冷
木場ポンプ所では、沈砂池の建物の屋根や壁が破れていたため、気温は外気とほぼ同じであり、冬季の沈砂池作業においては寒冷ショックともいうべき強烈な刺激を肉体に受けていた。
(三) 治雄の被災当日の状況
治雄は、被災当日の朝、原告から顔色が悪く気分が悪そうなので休むように勧められたが、「今日は新人が一人しかいないので休めない。」といって、午前八時三〇分に出勤して業務に就いた。当日は、夏季休暇取得者が二名、前直の一直に勤務を振り替えた者が一名いたため、正規の直勤務者は治雄一人であり、その年の八月一日に採用されたばかりの日勤の新人一名が同人の補助を行っていた。治雄は、午前九時三〇分ころから新人と二人で日常点検と前日から早朝にかけての降雨による影響で汚れていた沈砂池周辺の清掃とを行い、午前一一時ころ監視室に戻り、それから正午まで機械類の監視をし、四五分間の昼休みを挟んで、午後〇時四五分から午後一時三〇分まで監視業務を行い、午後一時三〇分ころ、汚水ポンプの点検をしてくると新人の同僚にいって、地下一階にある汚水ポンプ機械室に降りていった。しかし、治雄が二〇分ないし三〇分を過ぎても戻らないことに不審を抱いた同僚が、監視室の出入口から地下を覗いてみたところ、地下一階に通ずる階段踊り場にうつ伏せに倒れているのを発見した。
治雄は、額と口から出血しており、意識不明の状態であったので、直ちに救急車で近くの木場病院に運ばれたが、直後の午後二時二〇分死亡が確認された。
(四) 治雄の病歴
治雄は、昭和四七年三月ころ、自宅で急に胸の痛みに襲われ、近くの開業医の診察を受けたところ狭心症と診断され、同年八月に東京都下水道局が実施した循環器系健康診断の結果では、「心電図所見心筋傷害像、冠硬化症、要精密検査、C2」と判定された。C2とは、東京都下水道局職員の健康診断実施要綱における健康管理区分であり、「勤務を正常におこなってよいが、なるべく重労働を避ける。定期的に医師の観察指導等の必要がある。」というもので、その後、都合で受診できなかった昭和四九年度を除いて、昭和五〇年度の診断まで、毎年、同様の判定がされていた。血圧は、昭和四七、八年当時は幾分高めのこともあったが、その後は、低く安定していた。
治雄は、昭和四八年六月ころに二回目の発作があり心臓に急激な痛みを覚え、狭心症の発作を繰り返すようになったので、同年一二月三日、東京女子医科大学付属日本心臓血圧研究所外来の治療のため受診し、以後、同様の発作を反復しつつ、昭和五一年七月一九日まで通院、治療を受けていた。狭心症の症状は、特に労作と関係なく朝方に発生することが多かったが、昭和五〇年ころからは日中の発作も頻回となり、本件災害の一か月前ころには、下水臭によっても発作が誘発されるまでになっていた。
(五) 本件災害に至る経過と公務との関連
(1) 虚血性心疾患の発症及び増悪のリスクファクター
狭心症や心筋梗塞等の虚血性心疾患の発症や増悪に関連するリスクファクターの研究によると、年齢、高血圧、糖尿病、高尿酸血症、高脂血症(高コレステロール値等)、遺伝等の身体上の要因や、喫煙、過剰飲酒、塩分の過剰摂取、炭水化物中心の偏った食習慣、運動不足などの生活習慣上の要因、寒冷等の気象条件、情動ストレス、職業等がリスクファクターとしてあげられている。このうち、高血圧、高コレステロール、喫煙が三大リスクファクターと呼ばれている。
(2) 治雄におけるリスクファクターの存在の有無
身体上、生活習慣上のリスクファクターについては、死亡時年齢が五三歳といわゆる中高年齢になっていたものの、血圧は昭和四七、八年当時やや高かったがその後は低くコントロールされており、高血圧症ではなく、糖尿病、高尿酸血症、高脂血症の所見はなく、肥満の傾向や遺伝的素因もなく、喫煙は昭和四五、六年ころから行っておらず、過剰飲酒の傾向はなく、油っこいものや炭水化物を特に好むという偏った食習慣もなく、年齢以外のリスクファクターは全くない。しかし、わが国の昭和四七年当時の狭心症の診断後の心筋梗塞発症率は、五年後二六パーセント、一〇年後五〇パーセントであり、生存率は、一年後九六パーセント、五年後八二パーセント、九年後六四パーセントと報告されているにもかかわらず、治雄が最初の発作を訴えてから約四年五か月という短期間に異例の早さで狭心症を増悪させ心筋梗塞を発症し死亡するに至ったのは、同人が昭和三四年四月以来従事してきたポンプ所における深夜勤・交代制勤務及び労働環境が狭心症を急激に増悪させる要因として作用したとしか考えられない。
(3) 深夜勤・交代制勤務によるストレスと狭心症の増悪との関連
① 深夜勤・交代制勤務の有害性
深夜勤・交代制勤務を行っている労働者は、常日勤者と比較して疲労や睡眠不足が生じやすくかつその疲労が蓄積しやすいため、さまざまな健康障害に陥りやすい。疲労や睡眠不足が生じやすいのは、深夜勤・交代制勤務者は、人間に固有の概日リズム(サーカディアン・リズム)に反して、交感神経系の活動が優位で活動に適する昼間に睡眠をとらなければならず、副交感神経系の活動が活発で休息に適する夜間に労働しなければならないという身体にとって最も不利な条件での生活を余儀なくされるからである。そして、深夜勤・交代制勤務を継続しても概日リズムの位相逆転はもたらされず、深夜勤務、昼間睡眠に適した体は作られず、かえって自律神経や内分泌系機能の平衡を乱し、身体を不調に陥らせるのである。また、深夜勤・交代制勤務に伴う不規則な生活習慣は、家族や社会一般の生活時間帯と異なるので生活上の多くの不便や苦痛を生むことになり、これが疲労を一層加速する要因になっている。
日本産業衛生学会交代勤務委員会が昭和五三年五月二九日に労働省に提出した「夜勤・交代制勤務に関する意見書」は、交代制勤務に伴う健康障害としては、消化器疾患(胃・十二指腸潰瘍、胃炎、便秘ないし下痢症状を伴った腸障害等)が顕著であるほか、上気道炎や気管支炎等の呼吸器疾患、腰痛等の運動器疾患、各種の神経系症状の進展、一般的健康状態の低下及び過労による疾患の誘発等があるとしている。更に、右意見書は、一般の循環器疾患の平均罹病率については、必ずしも交代制勤務者が高率であるとはいえないが、深夜勤の連続や交代制勤務の過労によって脳血管疾患、虚血性心疾患、急性心不全等に基づく死亡事例が多数報告されていることからいって、交代制勤務はこれらの循環器疾患の発症を促進すると考えられるとしている。
② 治雄の従事した深夜勤・交代制勤務
右意見書は、交代勤務条件の改善の方向としていくつかの提言を行っているが、その特徴的なものを列挙すると、(1)週労働時間は、四〇時間を限度とし、その平均算出期間は二週間とする、(2)深夜業を含む労働時間は、一日につき八時間を限度とする、(3)食事休憩時間は、十分な食後休養がとれるよう四五分以上を確保する、(4)深夜業を含む勤務では、勤務時間内の仮眠休養時間を拘束八時間について少なくとも連続一時間以上確保することが望ましい、(5)深夜勤務は、原則として毎回一晩に止めるようにし、やむをえない場合も二~三夜の連続に止めるべきである、(6)各勤務間の間隔時間は、原則として一六時間以上とし、一二時間以下となることは厳に避けなければならない、(7)月間の深夜業を含む勤務回数は、八回以下とすべきである、(8)各休日は一暦日を含むものとし、休日一日の場合は一暦日を含む連続三六時間以上、休日二日の場合は連続六〇時間以上とし、休日から休日までの間隔は最大七日以内とする、(9)年次有給休暇日数は、交代制勤務に配置される初年度から年間四週相当以上とし、その完全な取得がはかれるよう、また、欠勤者が生じたための連勤が避けられるよう適正な数の予備要員の配置が義務づけられていなければならない、(10)週末に該当する休日日数の増加をはかり、特に週末休日が連休となる回数を増やすことが望ましい等である。
しかし、治雄が従事してきた深夜勤・交代制勤務をみると、昭和三六年四月から昭和四六年九月までの勤務、昭和四六年一〇月から昭和四八年五月の週四八時間制の三・一通し勤務及び昭和四八年六月から本件災害までの週四四時間制の三・一通し勤務を通じて、労働時間、休息・休憩、深夜勤の連続、勤務間隔時間、週休、年休の実態等において右意見書の提言に反しており、極めて負担が大きい勤務であったといわざるをえない。とりわけ、昭和四六年一〇月の三・一通し勤務の導入は、それまでの三直勤務と一直勤務の間隔時間をゼロにして拘束一七時間に及ぶ長時間労働もって深夜勤を行おうとするもので、右意見書の提言に大きく反するものであり、その勤務を連続三回の形で行わなければならないことや週休間隔がそれまでの六日から九日になってしまったことなども加わって、深夜勤・交代制勤務の負担をより増大させたといえる。また、昭和四八年六月の週四四時間制の三・一通し勤務の導入は、四週を平均算出期間とした週労働時間が四八時間から四四時間に減少したものの、三・一通し勤務は最大五回連続することになり週休間隔は最長一〇日間となって、深夜勤務の負担を更に増大させてしまったのである。
更に、昭和四六年一〇月の三・一通し勤務の導入以後である昭和四七年三月ころに最初の狭心症の発作があり、週四四時間制の三・一通し勤務が導入された昭和四八年六月に二回目の発作があり、以後発作が頻回になる等、治雄の病状の進行と交代制勤務形態の変遷との間には明白な関連性が認められ、治雄の従事してきた深夜勤・交代制勤務が狭心症の発症及びその急激な増悪に関与していることは明らかである。
(4) 作業環境その他労働負担の増大と狭心症悪化との関連
① 木場ポンプ所への転勤に伴う精神的・肉体的負担の増大
精神的負担の増大は、虚血性心疾患のリスクファクターであり、木場ポンプ所転勤に伴う精神的負担の増大が治雄の狭心症の増悪に関与していたとすることは無理な推定とはいえない。
また、点検作業における階段の昇降は、他のポンプ所にはなかった作業負担であり、階段の昇降は狭心症の発作の誘因として指摘されているものであり、治雄に対してかなりの肉体的負担を強いたものといえる。
② 作業環境の影響
治雄の狭心症の増悪との関連で注目される作業環境は、過冷房、騒音、臭気、寒冷等である。
身体の局所的寒冷曝露や冷たい風に向かっての歩行は、狭心症の発作の誘因になるものであり、木場ポンプ所の監視室は、治雄の勤務当時は夏季二〇度位に冷房しており、点検作業等を行って外気温下にある沈砂池等から監視室に帰るときや冷房機からの冷気を直接身体に受けるとき等に負担として影響していたと考えられる。
騒音の点からみると、木場ポンプ所の沈砂池、ポンプ室は常にさわがしい環境下にあり、注意の集中を妨げ不快感やいらいらした感じを伴い、点検作業等の精神的負担を増大させることになり、監視室は常にざわざわした感じがあり、突発的に鳴り出す警報ブザーの騒音を加えると、監視作業における精神的負担を増大させるものとなっている。
下水から発生する臭気は、通常の濃度レベルでは循環器疾患に直接的に影響することはまれであるが、一種のストレス反応として不快感という形を通じて狭心症発作を誘発したと考えられる。
寒冷については、特に冬季の沈砂池作業をあげなければならない。木場ポンプ所では、沈砂池は一応建物の中におさまっていたが、建物の屋根や壁が破れていたため気温は外気のままであり、寒冷のもとでの沈砂池作業は、狭心症であった治雄に負担となったに違いない。
(5) 東京都下水道局の健康管理上の問題
治雄は、昭和四七年八月及び昭和四八年八月に東京都下水道局が実施した循環器系健康診断を受診し、心電図に心筋傷害像が発見され、冠硬化症と診断され、C2の判定が行われた。ここにC2とは、東京都下水道局職員の健康診断実施要綱における健康管理区分であり、「勤務を正常におこなってよいが、なるべく重労働を避ける。定期的に医師の観察指導等を受ける必要がある。」というものである。そして、重労働の意義については東京都下水道局安全衛生管理者設置要綱の別表第五の中に例示があり、「常時重量物運搬等の激労、夜勤、宿・日直」をいうものとされており、ポンプ所における直勤務は重労働に該当するものである。ところが、東京都下水道局は、健康診断の結果に対して何らの配慮をすることなく、漫然と治雄を直勤務に就かせ、その死という結果を招いたものであり、同局の形骸化された健康管理体制が治雄の病状の進行を早めたものというべきである。
(6) 夏季の労働負担の増大
夏季には一〇日間の夏休(職免)が与えられていたが、余裕人員がないため、直員が夏休をとると欠員が生ずる状態であった。すなわち、木場ポンプ所は、常時四人以上直者を確保する態勢で運営されているが、夏休期間は四名の確保が困難となり、三直及び一直勤務の場合は夏休等で欠員が生じても超過勤務等で補充をするが、二直勤務の場合は緊急時には日勤者が応援するということで欠員の補充がされないことがあり、治雄は死亡前一か月において五回にわたり欠員の状態で二直勤務を行っている。このような、欠員状態での勤務の頻発という死亡直前の労働負担の増大は、治雄の病状を悪化させるものであった。
(7) 死亡当日の勤務の労働負担
死亡当日は、治雄とその年の八月一日に採用された新人との二名が勤務していたが、右新人はわずか一か月前に採用された者で、実質一名勤務といえるものであり、その精神的負担は大きかったと考えられる。また、通常は沈砂池設備の点検(二班で分担する。)かポンプ所設備の点検のいずれか一つを行えばよい日常点検作業において、その全部を行わなければならず、午前中に昇降した階段の数は優に三〇〇段を超えていたと推定され、肉体的負担も重いものであった。
このように、死亡直前の勤務は、狭心症の基礎疾病を患っていた治雄にとって、それを急激に悪化させ心筋梗塞を誘発させるに足りる過重性を肉体的にも精神的にも有していたのである。
(六) 階段上での転倒等による本件災害の発生
(1) 階段上での転倒
治雄の発症が階段上での転倒により誘発されたものであったか否かは不明である。しかし、治雄の発見された場所が階段という危険な場所であるから、転倒による発症の可能性は否定できない。また、階段外で狭心症の発作が起きた場合には、通常ならば舌下錠により対処するところ、階段上であるために転倒して心筋梗塞を誘発した可能性も考えられる。
このように、発症が十分に公務遂行中の事故(階段上での転倒)に起因すると推定される場合には、反証がない限り、公務起因性を認めるべきである。
(2) 階段上での放置
心筋梗塞の発作に対する唯一の対処策は、少しでも早く専門家の治療を受けさせることであるが、治雄が発見されるまでには約三〇分の時間が経過しており、このように治雄が適切な治療を受ける機会を失ったことも、本件災害が発生した原因であり、この点からも公務起因性を認めるべきである。
(七) 以上によれば、深夜勤・交代制勤務という公務そのものが治雄の狭心症を急激に悪化させた心筋梗塞を発症させたものであり、更に遡って狭心症自体が右のような公務を原因として発症したものであることが明らかである。
5 したがって、本件災害は公務に起因して発生したものであるから、これを公務外と認定した被告の本件処分は、取消を免れない。
二 請求の原因に対する認否及び被告の主張
(請求の原因に対する認否)
1 請求の原因1ないし3の事実は認める。
2 請求の原因4について
(一) 請求の原因4冒頭の主張は争う。
(二) 請求の原因4(一)の事実は認める。
(三) 請求の原因4(二)について
(1) 請求の原因4(二)冒頭の事実は認める。
(2) 請求の原因4(二)(1)第二段の事実のうち、一直の勤務開始時間が二一時であることは否認し、その余は認める。一直の勤務開始時間は慣行上二二時となっていた。
請求の原因4(二)(1)第三段の事実のうち、三直勤務と一直勤務を通して行った場合の勤務時間が約一七時間であることは否認し、その余は認める。三直勤務と一直勤務を通して行った場合の勤務時間は一六時間である。
請求の原因4(二)(1)第四段の事実は認める。
請求の原因4(二)(1)第五段の事実のうち、深夜勤務における仮眠については規程上の定めはないが、木場ポンプ所では四名の直者が二名ずつ交代で二~三時間の仮眠をとっていたことは認め、その余は否認する。
(3) 請求の原因4(二)(2)について
① 請求の原因4(二)(2)の冒頭の事実のうち、ポンプ所の業務が極めて公共性の高いものであることは認め、その余は否認する。
② 請求の原因4(二)(2)①第一段の事実のうち、日常点検の主たる対象は沈砂池設備に関するものとポンプ設備に関するものに分けられ、前者は更に二つに分けられること、沈砂池設備に関するもののうち、し渣、沈砂ホッパー等を点検するものは、歩行距離約二〇〇メートル、延垂直距離一六メートル、階段数七二段に達し、汚水スクリーン等を点検するものは、歩行距離約二〇〇メートル、延垂直距離一〇メートル、階段数七〇段に達し、ポンプ設備に関するものの点検は、歩行距離約一二〇メートル、延垂直距離三一・六メートル、階段数一六〇段に達することは認め、その余は不知。
請求の原因4(二)(2)①第二段の事実は認めるが、これは主として日勤者の仕事である。
③ 請求の原因4(二)(2)②の事実のうち、精神的緊張の持続に伴う執拗な神経的疲労が監視作業の従事者に大きな負担を与えることは否認し、その余は認める。
④ 請求の原因4(二)(2)③の事実は不知。補修作業は主として日勤者の仕事である。
⑤ 請求の原因4(二)(2)④の事実のうち、木場ポンプ所では、ポンプの運転操作は監視室からの遠方操作によって行うことができることは認め、その余は不知。
⑥ 請求の原因4(二)(2)⑤の事実のうち、木場ポンプ所では、停電対策のためにディーゼル高圧発電機を設置していたことは認めるが、その余は不知。
⑦ 請求の原因4(二)(2)⑥の事実は不知。
(4) 請求の原因4(二)(3)第一段の事実のうち、各ポンプ所の勤務期間が原告主張のとおりであること、東京都下水道局と東京水道労働組合との間で昭和三九年一月に企業職員の配置替の基準に関する覚書が締結され、それによれば、「労務系の職種に従事する者の配置替は、同一事業所に五年乃至七年を越えて継続勤務する者の中から行う。」と定められていたことは認め、その余は否認する。
治雄は、昭和三六年四月から昭和四九年五月までの一三年間は、現在の東京都下水道局北部第一管理事務所維持課に所属しており、各ポンプ所への異動は、課内の配置替であり単なる勤務場所の変更である。治雄は、一貫してポンプ所の維持管理業務に従事しており、各ポンプ所によって沈砂池設備の形式、ポンプの形式、具体的運転操作の方法等に若干の違いがあったとしても、基本的には仕事の内容は同じであるから、勤務するポンプ所が変わったことによって特別の負担があったとは考えられない。
請求の原因4(二)(3)第二段及び第三段の事実は不知。
(5) 請求の原因4(二)(4)について
① 請求の原因4(二)(4)①の事実は不知。
② 請求の原因4(二)(4)②の事実は否認する。臭気については悪臭防止法及び東京都条例において規制基準が定められており、木場ポンプ所がこの規制基準をクリアしているのはもちろんであり、木場ポンプ所における臭気が人体に健康上影響を及ぼすようなものでないことは明らかである。
③ 請求の原因4(二)(4)③の事実は不知。職員が常駐する監視室の温度は、勤務する職員が自由にコントロールすることができるようになっており、夏季においても外気の温度にあわせて室温を適切に調整しているはずである。
④ 請求の原因4(二)(4)④の事実は不知。
(四) 請求の原因4(三)第一段の事実のうち、治雄が被災当日の朝原告から顔色が悪く気分が悪そうなので休むように勧められたが、「今日は新人が一人しかいないので休めない。」といったことは不知、当日の正規の直勤務者が治雄一人であったことは否認し、その余は認める。
請求の原因4(三)第二段の事実は認める。
(五) 請求の原因4(四)第一段の事実のうち、血圧が昭和四七、八年当時は幾分高めのこともあったがその後は低く安定していたことは否認し、その余は認める。
請求の原因4(四)第二段の事実は認める。
(六) 請求の原因5(五)について
(1) 請求の原因4(五)(1)の事実は認める。
(2) 請求の原因4(五)(2)の事実のうち、死亡時年齢が五三歳といわゆる中高年齢になっていたことは認め、その余は否認する。治雄は高血圧症であったものである。
(3) 請求の原因4(五)(3)について
① 請求の原因4(五)(3)①の事実は不知。
② 請求の原因4(五)(3)②第一段の事実は不知、第二段及び第三段の事実は否認する。
(4) 請求の原因4(五)(4)①及び②の事実は否認する。
(5) 請求の原因4(五)(5)ないし(7)の事実は否認する。
(七) 請求の原因4(六)(1)及び(2)の事実は否認する。
(八) 請求の原因4(七)の主張は争う。
3 請求の原因5の主張は争う。
(被告の主張)
1 当該死亡が公務上のものといえるため、すなわち公務起因性があるといえるためには、公務と死亡との間に単に因果関係があるというだけではなく、原則として、死亡の原因となる一定の明確な事実によって媒介された因果関係が存在しなければならない。一定の明確な事実は、当該事実の発生状況が時間的に明確な事象とか明確になしうる事象であるのが通常である。当該公務に従事する職員の身体に対し長時間又は長期間にわたって徐々に生起し又は作用する有害な事実によって公務起因性が認められることも全くないとはいえないが、そのような場合は例外的である。
2 治雄の昭和五〇年四月一日から昭和五一年八月二五日までの勤務状況
(一) 治雄については、全日数五一三日のうち一五八日が勤務を要しない日であり、三五五日勤務した。その内訳は、一直が一二五直、二直(日勤者有)が七一直、二直(日勤者無)が三二直、三直が一二七直である。治雄はこの期間に二直で四三日の休暇(職免を含む。)をとっている。
(二) ポンプ運転
直員のポンプ運転業務は、その業務量の軽重に応じて次のように分類できる。
(1) 晴天時
晴天時は下水の流入はパターン化し安定している。したがって、ポンプの運転は汚水ポンプのみで、運転業務につき特別の労力や精神的負担はない。
(2) 雨天時
① Aランク
降雨はあるが小雨のため、晴天時と同様汚水ポンプの運転のみで、雨水ポンプを運転する必要はない。
② Bランク
汚水ポンプのほか電動式雨水ポンプを一、二台運転する。その運転には特別の労力を必要としない。
③ Cランク
汚水ポンプ、電動式雨水ポンプに加え、エンジン駆動式雨水ポンプ又は発電機を運転する。エンジン駆動式雨水ポンプ又は発電機を作動させるためには、特に労力が必要であるというほどのものではない。
④ Dランク
降雨強度が毎時二五ミリを超え、雨水ポンプの全台が稼働し又はそれに近い状況もしくは雨水ポンプに稼働中異常が発生したり、ポンプの作動中沈砂池(特にろ格機)の側に待機してし渣かき揚げ作業をしなければならない等の場合である。
木場ポンプ所では、三直交代制勤務であるから、五一三日間に直勤務は延一五三九直行われたことになるが、ポンプの運転状況をみると、次のとおりである。
全体 治雄が所属した班
晴天時運転 一二五八直(八一・七%) 二九二直(八二・二%)
雨天時Aランク運転 一五七直(一〇・二%) 三一直(八・八%)
雨天時Bランク運転 九七直(六・三%) 二二直(六・二%)
雨天時Cランク運転 二四直(一・六%) 九直(二・五%)
雨天時Dランク運転 三直(〇・二%) 一直(〇・三%)
これによれば、治雄がポンプ運転について天候の影響により特に疲れが残るような労力を使ったことはないということができる。
(三) 保守・点検作業
(1) 日常の保守・点検
① Aランク
定時刻、定順路で設備、機器等の作動状況を主として作業員の感覚によって点検する作業である。通常、各直が一回ずつ行っており、一回二〇分ないし三〇分で終了する。
② Bランク
点検を行っている際、設備、機器の振動とか音に軽微な異常を発見し又は油漏れ等があるため、当該機器の運転を停止し予備機を運転し又は当該機器のエアー抜き、逆転運転等の軽微な処置を行った後に再起動を行う場合で、点検、保守時間は三〇分ないし一時間程度を要する。
③ Cランク
点検中、ポンプ揚水機能(ポンプ、ゲート、沈砂池機械設備等)に重大な異常を発見し、揚水機の手元運転をする必要のある場合、し渣かき揚げ等人力作業を行う必要のある場合、予備機の切替に長時間の作業を要する場合等事後処理に一時間以上を要する場合である。
(2) 定期保守・点検
日常の保守・点検以外に年、月あるいは週に一度というように定期的に行う保守・点検である。これは、日勤者が主体となって二直の直勤者と共同で行われる。
(3) 臨時保守・点検
① Aランク
監視室において、ブザー、表示灯により異常が感知され、水位低下、高水位、圧力上昇、圧力低下等が発見された場合で、若干の運転操作等の作業により容易に正常化できるものである。
② Bランク
監視室において異常が感知された場合で、異常復帰又は運転停止処置を行うためには、必ず異常発生現場で異常原因を確認し、場合によっては手元盤で現場処置が必要なもので、作業時間が二〇分ないし三〇分程度のものである。
③ Cランク
監視室において異常が感知された場合で、ポンプ揚水機能に重大な支障が生じるおそれがあるため、異常発生場所において手元操作を行ったり、し渣かき揚げ作業等一時間以上の人力作業を必要とするもの又は故障復帰のため一時間以上の作業を必要とするものである。
(4) 治雄は、一直時一二五日間で一二五回の日常点検・保守を行っており、このうちBランク、Cランクは各一回であり、定期点検・保守及び臨時点検・保守については臨時点検・保守のBランクが一回であった。また、二直時は一〇三日間で一〇三回の日常点検・保守を行っており、このうちBランクは一回、Cランクは二回であり、一七回の定期点検及び四回(Aランク及びCランク各二回)の臨時点検があった。三直時には一二七日で一二七回の日常点検・保守を行っており、このうちBランクは三回、Cランクは一回であり、定期点検・保守及び臨時点検・保守については臨時点検・保守のBランクが一回であった。
このような保守・点検作業の状況をみれば、それによって治雄に疲労が蓄積されるような状況にはなかったと考えられる。
(四) 保全作業
(1) 保全作業は、その業務内容の軽重によって次のように分けられる。
① Aランク
監視盤の表示灯の球切れ、計測用機器の記録紙、ペンの交換、二リットルオイルジョッキによる給油、監視室、控室、浴室の清掃等通常軽微と考えられる作業である。
② Bランク
沈砂池、ポンプ室等の高所の照明電球の取替え、ワイヤーブラシケレン、塗装、シャーピン、駆動用ローラチェン、ポンプ用グランドパッキンの交換作業、沈砂池床面、ポンプ室等の水洗清掃、ジブクレーンによる揚砂等の作業である。
③ Cランク
沈砂池設備の主務チェーンのコマ詰、切断箇所の取替え、レーキ、バケットの交換等の比較的労力と人員を要する作業である。
④ Dランク
沈砂池仮締切作業及び沈砂池内部(池の底)に滞留した沈砂の人力による排除作業(沈砂池砂没の後始末)等比較的重労働に相当する作業である。
(2) 保全作業は六四八回行われたが、その実施状況は、一直二回(〇・三%)、二直(日勤者有)六〇九回(九四%)、二直(日勤者無)二七回(四・二%)、三直一〇回(一・五%)であり、日勤者のいる二直で行われた割合が九四%であることが示すとおり、日勤者主体の作業である。
また、ランク別の作業回数は次のとおりである。
全体 治雄が所属した班
Aランク 一五八回(二四・四%) 三六回(三二・四%)
Bランク 三九三回(六〇・七%) 五四回(四八・六%)
Cランク 六九回(一〇・六%) 一六回(一四・五%)
Dランク 二八回(四・三%) 五回(四・五%)
この保全作業の実施状況をみても、治雄の身体に重大な影響を及ぼしていたと考えることはできない。
(五) 休暇
直勤者四班一六名がとった休暇、夏季休暇は次のとおりである。
全体 治雄の場合
一直 一四日(二・四%)
二直(日勤者有) 五五〇日(九五・二%)四三日(一〇〇%)
二直(日勤者無) 一一日(一・九%)
三直 三日(〇・五%)
直勤者の休暇取得日数の平均は三六・一三日であるから、四三日を取得した治雄は平均より多いことになる。
3 治雄の被災前一週間の勤務状況
(1) 昭和五一年八月一八日(曇のち晴)
治雄は、午後三時に出勤し三・一通し勤務についた。洗砂機のシャーピンの交換作業を行ったほかは、特別な業務はなかった。
(2) 同月一九日(晴)
治雄は、一直勤務明けとなり午前八時四五分に退勤した。翌日は二直勤務であるから、約二四時間の自由時間があり、夜勤による疲労が残ったとしても翌日までには十分に回復する時間があったと思われる。
(3) 同月二〇日(曇のち晴)
治雄は、午前八時三〇分に出勤し、午後八時に退勤した。諸機械類を点検したが、異常はなかった。
(4) 同月二一日(晴)
治雄は、午前八時三〇分に出勤し、午後八時に退勤した。給水ポンプのパッキン取替え、汚水ポンプ室の清掃を行ったほか、特別な業務はない。
(5) 同月二二日
休日
(6) 同月二三日(晴)
治雄は、午前八時三〇分に出勤し、午後七時に退勤した。業者が制水弁を修理中であり、副受水槽ボールタップの取替え、揚泥作業、蓄電池の点検を行ったほか、特別の業務はなかった。
(7) 同月二四日(降雨なし)
治雄は、午前八時三〇分に出勤し、午後七時に退勤した。洗砂機、沈砂池室の水洗、ゴミの焼却を行ったほか、特別の業務はなかった。
(8) 以上のとおり、死亡前一週間の勤務は、降雨に伴う作業等特別なことはなく、通常の勤務であり、勤務時間が特に長いということもなく、公務に過重性の認められるようなことはなく、明らかに災害に該当する事実もみあたらない。
4 治雄の被災当日の勤務状況
治雄の被災当日の勤務において肉体的に疲労するような事態は発生していない。また、当日欠勤者がいたとしても、治雄の仕事量が特に増加したり責任が過重されたわけではなく、精神的に負担が過重となるような状況にもなかった。したがって、被災当日の勤務が治雄にとって特に負担となるものであったとはいえない。
5 以上のとおり、治雄には、被災当日はもちろんのこと被災前約一年五か月の間に、公務に関し発生状況が時間的に明確な災害に該当する事実はなく、また、明確にはしえないが治雄の身体に対し長時間又は長期間にわたって徐々に生起し又は作用する有害な事実もなく、治雄の死亡が公務上のものであるとの原告の主張は失当である。
第三証拠関係《省略》
理由
一 請求の原因1ないし3の事実及び治雄の経歴が請求の原因4(一)のとおりであることは、いずれも当事者間に争いがない。
二 治雄の業務内容と作業環境
1 治雄が昭和三六年四月一日以来従事していた業務の内容が、二四時間体制でポンプ所を稼働させるための直員すなわち交代制要員として、各種機械の稼働状況の監視、各機械の定期・随時の点検及び構内設備の清掃・修理等を行うことであったことは、当事者間に争いがない。
2 交代制勤務の状況
治雄は、昭和三六年四月から昭和四六年九月までは、三週を一サイクルとし、その間に一直(規程上の勤務時間は〇時から八時四五分であるが、慣行上は前日の二一時から二二時の間に三直と交代していた。)、二直(勤務時間は八時から一六時四五分)及び三直(規程上の勤務時間は一六時から翌日の〇時四五分であるが、慣行上は当日の二一時から二二時の間に一直と交代していた。)をそれぞれ六日間連続して勤務していたこと、昭和四六年一〇月に三・一通し勤務が採り入れられ、同月から昭和四八年五月の間は、三週を一サイクルとし、週休日を挟んで二直勤務三回を連続して行い、二日の週休日を挟んで三・一通し勤務三回を連続して行うことになったこと、昭和四八年六月から直勤務者に対しても週四四時間制度が採られるようになったため、同月から昭和五一年八月までは、四週を一サイクルとし、三・一通し勤務五回、週休、直休各一日、三・一通し勤務一回、二直勤務二回、週休一日、二直勤務四回、週休一日、二直勤務二回、三・一通し勤務一回、直休、週休各一日という形で勤務することになったこと、木場ポンプ所では、少なくとも晴天で異常のないときは四名の直者が二名ずつ交代で二、三時間の仮眠をとっていたことは、いずれも当事者間に争いがない。
《証拠省略》によれば、各直の勤務時間は、昭和四八年四月から同年一〇月までは、一直が一時から九時四五分まで、二直が八時三〇分から一七時一五分まで、三直が一六時一五分から翌日の一時までとなり、同年一一月以降は、一直が〇時から八時四五分まで、二直が八時三〇分から一七時一五分まで、三直が一五時一五分から〇時までとなったこと、木場ポンプ所での交代制勤務は、四班三交代制であり、一班は四名編成で直員は一六名いたが、昭和五一年当時、電気技術系職員が四名、機械技術系職員が三名、技能労務系職員が九名という構成であり、治雄は技能労務系の職員であったことが、それぞれ認められる。
3 木場ポンプ所の作業内容
(一) 点検作業
日常点検の主たる対象は、沈砂池設備に関するものとポンプ設備に関するものとに分けられ、前者は更に二つに分けられること、沈砂池設備に関するもののうち、し渣・沈砂ホッパー等を点検するものは、歩行距離約二〇〇メートル、延垂直距離約一六メートル、階段数七二段に達し、汚水スクリーン等を点検するものは、歩行距離約二〇〇メートル、延垂直距離一〇メートル、階段数七〇段に達すること、ポンプ設備に関するものの点検は、歩行距離約一二〇メートル、延垂直距離三一・六メートル、階段数一六〇段に達すること、日常点検のほかに臨時点検、定期点検が行われていたことは、いずれも当事者間に争いがない。
《証拠省略》によれば、日常点検は各直において一回実施されており、三つのコースをそれぞれ一名が分担して点検しており、それに要する時間は約二〇分から約三〇分であること、昭和五一年当時、木場ポンプ所には四名の日勤者がいたが、一名は所長、一名は事務処理担当、一名は技術的事項に関する調査等担当、一名は高齢で室内の清掃等担当となっており、臨時点検、定期点検は直者が主体となって行っていたことが、それぞれ認められる。
(二) 監視作業
直勤務者の作業として、監視室において機器の運転状態の確認と警報のキャッチを行う監視作業があることは、当事者間に争いがない。
(三) ポンプ運転作業及びディーゼル高圧発電機運転作業
木場ポンプ所では、ポンプの運転作業は監視室からの遠方操作によって行うことができること、同ポンプ所では停電対策のためにディーゼル高圧発電機を設置していたことは、いずれも当事者間に争いがない。
《証拠省略》によれば、木場ポンプ所の直員のポンプ運転業務は、その業務量の軽重に応じて五段階に分けることができ、晴天時の場合は、汚水ポンプの運転のみで下水の流入はパターン化し安定しており、雨天時Aランクの場合は、晴天時と同様汚水ポンプの運転のみで雨水ポンプを運転する必要はなく、雨天時Bランクの場合は、汚水ポンプのほか雨水ポンプを一台運転する場合であり、雨天時Cランクの場合は、汚水ポンプ、雨水ポンプ一台に加えディーゼル高圧発電機により雨水ポンプ一台を運転することになり、雨天時Dランクの場合は、降雨強度が毎時一五ミリを越え(前掲乙第八号証においては、雨天時Dランクの場合は降雨強度が毎時二五ミリを越える場合であるとされているが、《証拠省略》によれば、木場ポンプ所では、降雨強度が毎時一五ミリを越えた場合には雨水ポンプを三台全部運転していたことが認められるから、二五ミリではなく一五ミリとするのが相当である。)、雨水ポンプが全台稼働している場合か雨水ポンプに稼働中異常が発生しあるいは雨水ポンプの作動中に沈砂池(特にろ格機)の側に待機してし渣かき揚げ作業をしなければならない場合であること、治雄は、昭和五〇年四月一日から昭和五一年八月二五日までの五一三日のうち三五五日(直)の勤務をし、その内訳は一直が一二五直、二直が一〇三直、三直が一二七直であること、治雄が勤務した直のうちポンプ運転が雨天時Dランクであったのは六直(約一・七%)であることが、それぞれ認められる。
右の事実によれば、雨天時Dランクの場合には、ポンプ運転作業はかなり大変なもので精神的緊張も大きいということができるが、そのような場合は多くはなく、通常の場合は、ポンプ運転作業はそれほど大変な作業ではなく、精神的緊張もそれほど大きくはないということができる。
これに対して、《証拠省略》には、天気予報で降雨が予想される曇天日や雨水ポンプを運転していなくても引き続き降雨が予想されるとき等は精神的負担が大きい旨の記載があり、証人斉藤哲夫は同様の証言をするが、降雨時のポンプ運転が降雨量の多少にかかわらずすべて精神的緊張の大きいものであるということはできないし、降雨量は天気予報である程度の予測ができると解されるから、右の各証拠はいずれも採用できない。
(四) 保全作業
《証拠省略》によれば、木場ポンプ所での保全作業は、その業務内容の軽重によって四段階に分けられ、Aランクは、監視盤の表示灯の球切れ、計測用機器の記録紙、ペンの交換、二リットルオイルジョッキによる給油、監視室、控室、浴室の清掃等の作業であり、Bランクは、沈砂池、ポンプ室等の高所の照明電球の取替え、ワイヤーブラシケレン、塗装、シャーピン、駆動用ローラチェン、ポンプ用グランドパッキンの交換作業、沈砂池床面、ポンプ室等の水洗清掃、ジブクレーンによる揚砂等の作業であり、Cランクは、沈砂池設備の主務チェーンのコマ詰、切断箇所の取替え、レーキ、バケットの交換等の比較的労力を要する作業であり、Dランクは、沈砂池仮締切作業及び沈砂池内部に滞留した沈砂の人力による排除作業等の比較的重労働に相当する作業であること、治雄が昭和五〇年四月一日から昭和五一年八月二五日までに勤務した三五五直のうち保全作業のCランクを行った直は、二二回(《証拠省略》によれば、Cランクは一六回となっているが、《証拠省略》において日常の保守・点検のCランク(四回)及び臨時保守・点検のCランク(二回)として分類されているものは保全作業のCランクとして分類するのが相当であるから、合計で二二回となる。約六・二%)、Dランクを行った直は、五回(約一・四%)であること、このCランクの保全作業のうち一直あるいは三直で行われたのは二回だけであり、Dランクの保全作業はすべて二直で行われており、Cランク以上の保全作業が一直あるいは三直で行われることは殆どないことが、それぞれ認められる。
被告は、保全作業は日勤者主体の作業であると主張するが、これを認めるに足りる証拠はなく、かえって、《証拠省略》によれば、保全作業は直勤務者が主体となって行う作業であることが認められる。
(五) 直勤務者の作業の負担
《証拠省略》によれば、直勤務者の作業の主体は、監視室における各種機械の稼働状況の監視業務とポンプ運転作業(雨水ポンプを運転するためのディーゼル高圧発電機運転作業を含む。)であることが認められる。
ポンプ運転作業が通常の場合には特に精神的緊張の高い作業でないことは、前記認定のとおりであり、弁論の全趣旨によれば、監視作業も特に精神的緊張の大きい作業であるとは認められない。この点について、原告は、各種機械の運転状況を示す多数のメーターの変化、変動の一つの見落としも溢水という重大な結果を招く危険性があり、監視作業における精神的緊張は重大なものであると主張するが、溢水というのは非常に極端な事態であり、通常の監視作業においては、そのような事態の発生を想定した精神的緊張が伴うことは考えられず、また、ポンプの運転が雨天時のDランク運転になる場合も多くはないのであるから、原告の主張は理由がない。
また、日常点検における歩行距離、階段数とも、日常生活のなかでごく普通に経験する程度のものであり、これが肉体的な負担となることは考えられず、臨時点検、定期点検等を行ったとしても肉体的に負担となるほどのものではない。
保全作業のうちDランクのものは、重労働に相当する作業であり、Cランクのものは労力を要するものであるが、C及びDランクの保全作業の回数はそれほど多くないから、直勤務者の作業が肉体的負担の大きいものであるということはできない。
したがって、直勤務者の作業は、肉体的負担及び精神的緊張ともにそれほど大きいものとはいえない。
なお、この点に関して、原告は、ポンプ所の業務は極めて公共性の高いもので、個々の職員に大きな精神的緊張をもたらすものであると主張し、《証拠省略》にはその旨の記載があり、証人岩野清及び同斉藤哲夫も同旨の証言をする。しかし、ポンプ所に公共性があることから直ちに、そこで働く職員の作業が精神的緊張の大きいものとなるということはできず、また、直員の作業内容をみた場合特に精神的緊張が大きいものといえないことは、前記認定のとおりであるから、右各証拠はいずれも採用できない。
4 転勤の状況
治雄の各ポンプ所における勤務期間が原告主張のとおりであること、東京都下水道局と東京水道労働組合との間で昭和三九年一月に企業職員の配置替の基準に関する覚書が締結され、それによれば、「労務系の職種に従事する者の配置替は、同一事業所に五年乃至七年を越えて継続勤務する者の中から行う。」と定められていたことは、当事者間に争いがない。
《証拠省略》によれば、ポンプ所の直員の配置替は、特に希望する場合を除いては概ね一〇年程度で行われていたことが認められる。
5 木場ポンプ所の作業環境
(一) 騒音
《証拠省略》によれば、昭和五八年六月一三日に木場ポンプ所で騒音を測定した結果、汚水ポンプは約八〇デシベル(ポンプ及び諸機械は機械本体から一メートル離れた場所での数値)、ろ格機は約七〇デシベル、バケットコレクターは七三デシベル、洗砂機は七五デシベルの騒音を出していること、汚水ポンプを三台運転したときは、ポンプ室のどこでも七〇デシベル以上、沈砂池でも六七から七〇デシベルの騒音があること、ディーゼル発電機を運転した状態では、発電機室で約一〇〇デシベル、監視室でドアを開けたとき七九デシベル、ドアを閉めたとき六八デシベルの騒音があること、昭和五六年一二月二四日の測定結果によれば、汚水ポンプを二台運転した場合の騒音は、監視室で五四から六〇デシベル、控室(仮眠を行う部屋であった。)で四五から四八デシベル、ディーゼル発電機を運転した場合の騒音は、監視室で六九から七〇デシベル、控室で六三デシベル、監視盤ブザーが鳴った場合の騒音は、監視室で七八デシベル、控室で七〇デシベル、低圧盤ブザーが鳴った場合の騒音は、監視室で八二デシベル、控室で七一デシベルであることが、それぞれ認められる。
(二) 臭気
《証拠省略》によれば、下水には硫化水素、メチル、メルカブタン、アンモニア、ベンゼン、トルエン等の物質が含まれており、これらの物質による悪臭があること、木場ポンプ所においてもこれらの物質による悪臭があったことが認められる。
(三) 冷房
《証拠省略》によれば、木場ポンプ所では、夏季における監視室の冷房は、監視事務所全体の冷房とは別個に設置されており、監視室に設置してある機器を保護するという考え方のもとに室温は二〇度位に設定されていたこと、治雄は、原告に対して「夜冷房がききすぎて寒くて辛い。」と話しており、毛糸のズボン下を二枚木場ポンプ所に持参して交代で着用していたことが、それぞれ認められる。
(四) 寒冷
《証拠省略》によれば、木場ポンプ所では、沈砂池の建物の屋根や壁が破れていたため、室温は外気とほぼ同じであり、冬季の沈砂池での作業は寒冷の中で行われたことが認められる。
三 本件災害に近接した時期の勤務状況
1 本件災害前約二か月間(昭和五一年七月一日から同年八月二五日まで)の勤務状況
《証拠省略》によれば、本件災害前約二か月間の治雄の勤務状況は、出勤日数三八日(一直一三日、二直一二日、三直一三日)、週休八日、直休四日、夏休六日であり、昭和五一年七月一九日から同月二六日まで、週休二日、直休一日、夏休五日の八日間連続の休日をとっていること、この間の超過勤務は、同月一日三時間、同月四日三時間、同月一四日二時間、同月二八日二時間、同月二九日三時間、同月三一日三時間、同年八月一日二時間、同月九日二時間、同月一一日三時間、同月一三日三時間、同月二〇日三時間、同月二一日三時間、同月二三日二時間及び同月二四日二時間の日数合計一四日間、時間合計三六時間(このうち、昭和五七年七月一四日、同年八月九日、同月一一日及び同月一三日は、一直勤務明けの超過勤務であるが、それ以外は二直勤務後の超過勤務である。)であること、直勤務者は一班四名で勤務しているが、二直時に休暇等で四名の直勤務者が揃わなかった場合でも、日勤者を含めて四名の人員が確保されていれば必要人員は確保されているとして、四名未満の状態で二直勤務が行われており(但し、最低二名の直勤務者は確保される。)、特に七月及び八月は、夏休の関係で四名未満の状態で直勤務が行われることがかなりあり、本件災害前二か月間においては、同年七月一日(三人勤務)、同月二七日(二人勤務)、同月二八日(二人勤務)、同月二九日(三人勤務)、同年八月二〇日(三人勤務)、同月二五日(二人勤務)の六回にわたって四人未満の状態で二直勤務が行われたこと、本件災害前二か月の間に治雄が勤務した直のポンプ運転の状況は、雨天時Aランク運転が五直、雨天時Bランクの運転が二直、残り三一直は晴天時運転であり(木場ポンプ所の降雨計は、一時間当たり〇・五ミリ以上の雨から降雨として記録するようになっており、晴天時には〇・五ミリ未満の降雨も含まれる。)、保全作業の状況は、Cランク以上の作業はCランクの作業が行われた直が一直あるだけであることが、それぞれ認められる。
以上に事実によれば、超過勤務は、二か月間の合計が一四日間、三六時間であり、特に長時間のものではないこと、夏休を六日間とったほかその他の休日は通常どおりに取得したこと、ポンプ運転の状況及び保全作業の状況をみると特に過重な作業があったとはいえないことが認められ、本件災害前二か月間の勤務が通常の勤務に比較して過重なものであったということはできない。
2 本件災害前一週間の勤務状況
《証拠省略》によれば、本件災害前一週間の勤務状況は、週休、直休各一日の二日間の休みの後、三・一通し勤務を行い、二直勤務を二日続けた後週休一日をとり、更に二直勤務を二日続けたこと、超過勤務は合計四日間、一〇時間であり、超過勤務を含めた総勤務時間は五八時間であること、昭和五一年八月二〇日の二直は三人で勤務を行っていること、ポンプの運転状況はこの間には降雨はなくすべて晴天時運転であること、保全作業は同月二三日にCランクの作業が行われているがそれ以外にはCランク以上の作業は行われていないことが、それぞれ認められる。
以上の事実によれば、本件災害前一週間の勤務状況が通常の勤務に比較して過重なものであったとはいえない。
3 被災当日の状況
被災当日、治雄が午前八時三〇分に出勤して業務に就いたこと、治雄は、午前九時三〇分ころから新人と二人で日常点検と前日から早朝にかけての降雨による影響で汚れていた沈砂池周辺の清掃を行い、午前一一時ころ監視室に戻ったこと、その後正午まで機械類の監視をし、四五分間の昼休みを挟んで、午後〇時四五分から午後一時三〇分まで監視業務を行ったこと、治雄は、午後一時三〇分ころ汚水ポンプの点検をしてくると新人の同僚にいって地下一階にある汚水ポンプ機械室に降りていったこと、治雄が二〇分ないし三〇分を過ぎても戻らないことに不審を抱いた同僚が監視室の出入口から地下を覗いてみたところ、地下一階に通ずる階段踊り場にうつ伏せに倒れているのを発見したこと、治雄は額と口から出血しており意識不明の状態であったので、直ちに救急車で近くの木場病院まで運ばれたが、直後の午後二時二〇分死亡が確認されたことは、いずれも当事者間に争いがない。
《証拠省略》によれば、治雄は、被災当日の朝、原告から顔色が悪く気分が悪そうなので休むように勧められたが、「今日は新人が一人しかいないので休めない。」といって出勤していったこと、当日は、夏季休暇取得者が二名、前直の一直に振替勤務となった者が一名いたため、正規の直勤務者は治雄一人であり、昭和五一年八月一日に採用されたばかりの新人一名が直勤務についており、当日の直勤務者は二名であったこと、通常は三人で分担して行う日常点検を二人一緒に全コースを回ったため、当日の日常点検の歩行距離は約四九九メートル、昇降した階段数は二五四段に達したこと、当日の〇時から一時に一七・五ミリの降雨があり、一〇時から一一時に〇・五ミリの降雨があったが、ポンプの運転は汚水ポンプ二台だけであり雨天時Aランク運転であったこと、沈砂池周辺の清掃作業は長くても約三〇分程度のものであり重労働というようなものでないことが、それぞれ認められる。
以上の事実によれば、被災当日の勤務は、通常の勤務に比較して過重なものであったということはできない。
この点に関して、原告は、被災当日は直勤務者は二名であり、しかも、治雄以外の一名は昭和五一年八月一日に採用されたばかりの新人で、実質的には一名勤務の状態であり、精神的負担は大きかったと主張するが、当日のポンプの運転は、雨天時Aランク運転であり特に負担のあるものではなく、他に突発的な出来事もなく、日常点検は沈砂池周辺の清掃等を行ったほかは監視室での監視業務を行っていたのであるから、実質的に一名勤務であるからといって精神的負担が特に大きかったものと評価することはできない。
更に、原告は、被災当日に治雄は日常点検の全コースを回っており、歩行距離は約四九九メートル、昇降した階段数は二五四段に達し、肉体的負担が極めて大きかったと主張するが、歩行距離自体はたいした距離ではなく、昇降した階段数はやや多いが特に自分のペースで昇降しえなかったことを認めるべき証拠もないから、肉体的負担はそれほど大きくはなかったものということができる。
四 治雄の病歴等
1 治雄の病歴
《証拠省略》によれば、以下の事実が認められる。
(一) 治雄は、昭和四七年三月ころ、自宅で急に胸の痛みに襲われ、近くの開業医の診察を受けたところ狭心症と診断され、同年八月に東京都下水道局が実施した循環器系健康診断の結果、「心電図所見心筋傷害像、冠硬化症、要精密検査、C2」と判定された。C2とは、東京都下水道局職員の健康診断実施要綱における健康管理区分であり、「勤務を正常におこなってよいが、なるべく重労働を避ける。定期的に医師の観察指導等の必要がある。」というものである(この事実は当事者間に争いがない。)。なお、東京都下水道局職員の健康診断実施要綱によれば、定期健康診断の結果判定について定めた同要綱の別表第五には、重労働にあたる場合として「常時、重量物運搬等の激労、夜勤、宿日直」が例示されているから、右の健康管理区分にいう重労働の意味も、これと同様であると解される。
昭和四八年八月に実施された定期健康診断においても、「心電図所見心筋傷害像、冠硬化症、要精密検査、C2」と判定された(この事実は、当事者間に争いがない。)。
(二) 治雄は、昭和四八年六月(《証拠省略》によれば、東京都北区滝ノ川のマンションに引っ越した当日である六月一三日であることが認められる。)に二回目の発作があり、心臓に急激な痛みを覚え発作を繰り返すようになったので、同年一二月三日、東京女子医科大学付属日本心臓血圧研究所外来に治療のため受診した(この事実は、当事者間に争いがない。)。この初診時に狭心症と診断され、カルテには、同年六月初め食後胸部の真ん中に圧迫感を覚え呼吸困難になり医者にいき注射をうったこと、同月中の発作は八回ありそれ以後発作は月一回ほどあったこと、同年一一月三〇日以降は毎日発作があり、就寝中朝五、六時に痛みがあること、日中の労作では痛みはないことが記載されている。
その後、治雄は、昭和四九年中はほぼ毎月一回、昭和五〇年には二か月に一回、昭和五一年には三月、五月、七月の三回、同研究所に通院し、血管拡張剤、ニトログリセリン等を服用しているが、日中の発作は労作とは関係がなく、安静時の朝方や食事中の発作が多いのが特徴的であり、昭和五一年七月一九日付のカルテには、下水のガスを嗅いだときと朝の起床時の二種類の発作があることが記載されている。
(三) 狭心症は、心筋への酸素供給の不足が原因となった起る胸痛の呼称であって、通常は、冠動脈の硬化による内腔の狭窄によって酸素供給の不均衡が生じ、労作、寒冷曝露、精神的緊張などによってその状態が増強された際に、一過性に発症するものである。狭心症の余後としては、心筋梗塞を発症して死の転帰を辿る危険性が高いが、その発症の割合については、一年後、五年後、八年後までに、それぞれ八%、二四%、三七%、特に労作時のみならず安静時にも発症する狭心症では、五年後までに三五%、八年後までに五三%などの調査結果がでている。また、心筋梗塞は、冠動脈の本幹又は太い分枝が閉塞して冠血流の急激な減少、心筋の壊死が起るもので、冠動脈の硬化を成因とするものがもっとも多く、一般に、狭心症の約三分の一がその進行中に心筋梗塞を発症するといわれている。
(四) 治雄は、昭和四九年度の健康診断は受けておらず、昭和五〇年一〇月に行われた循環器系健康診断では、「心電図所見左心室内膜下層傷害像、要精密検査」と診断されたが、この時には健康管理区分は行われていない。また、治雄は、この循環器系健康診断が行われた際の循環器検査票の問診欄において、生活欄については「子供の頃から健康」との項目に丸印をつけ、自覚症状を全く訴えておらず、検診欄については、「異常なしといわれた」との項目に丸印をつけており、治療欄については「したことあり」、「している」、「していない」のいずれの項目にも丸印をつけていない。
(五) 血圧については、昭和四七年八月二三日が最高一四六、最低一〇四、昭和四八年八月二九日が一五八、一〇二(再検査では一四〇、九〇)、昭和四九年一月一四日が一五八、九〇、昭和五〇年三月一三日が一五〇、九〇、同年五月八日が一六〇、九〇、同年八月一三日が一五〇、九〇、昭和五一年五月一〇日が一五〇、九〇、同年七月一九日が一六〇、九〇とやや高く、軽度の高血圧であった。
2 その他の身体状況及び生活習慣
《証拠省略》によれば、治雄は、昭和四六年八月二五日と昭和四七年八月二三日の循環器系健康診断で尿糖がプラスとなったが、血糖検査の結果は正常であり、糖尿病に罹患していたものとはいえないこと、身長は約一五七センチメートル、体重は五五キログラムであり肥満の傾向は特になかったこと、治雄は、昭和四〇年ころから晩酌にビール一本程度を飲むようになり、昭和五一年当時は晩酌にウィスキーの水割り二杯程度を飲んでいたこと、たばこは昭和三九年ころから昭和四六年ころまで一日約一〇本を吸っていたがそれ以後は全く吸っていないことが、それぞれ認められる。
五 公務起因性の有無
1 地方公務員災害補償法三一条の「職員が公務上死亡し……た場合」にあたるといえるため、すなわち職員の死亡に公務起因性があるといえるためには、死亡と公務との間に相当因果関係のあることが必要であり、基礎疾病に罹患している者がそれを増悪させて死亡した場合には、少なくとも、公務の遂行が基礎疾病を誘発し又は急激に増悪させて死亡の時期を早める等、それが基礎疾病と共働原因となって死亡の結果を招いたといえることが必要である。
2 そこで、前記二ないし四に認定した事実に基づき、本件災害の公務起因性の有無について検討する。
(一) 本件被災当日、本件被災前一週間及び本件被災前約二か月間の勤務状況は、前記三1ないし3に認定したとおりであり、特に、治雄は一日の休日を挟んで日中の勤務である二直を四日間継続した後に本件災害に遭遇したことに鑑みると、被災前の勤務が通常の勤務に比較して過重なものであったとは認められず、したがって、被災前の公務が過重であってその遂行が基礎疾病を急激に増悪させて死亡の時期を早めたものということはできない。
(二) 原告は、治雄が一五年余の間にわたって従事してきた深夜勤・交代制勤務という公務そのものが狭心症という基礎疾病を急激に増悪させたと主張する。
《証拠省略》には、深夜勤・交代制勤務の特質について、その従事者は、人間に固有の概日リズム(サーカディアン・リズム)に反して、交感神経系の活動が優位で活動に適する昼間に睡眠をとり副交感神経系の活動が活発で休息に適する夜間に労働しなければならないという身体にとって不利な条件での生活を余儀なくされるため、日勤者と比較して疲労や睡眠不足が生じやすく疲労が蓄積しやすいこと、そのため、従事者は胃腸障害、循環器疾患などの健康障害に陥りやすいこと、深夜勤・交代制勤務を継続しても概日リズムの位相逆転はもたらされず、深夜勤務、昼間睡眠に適した体は作られないこと等の各記載があり、また、日本産業衛生学会交代制勤務委員会は、昭和五三年五月二九日に労働省に提出した「夜勤・交代制勤務に関する意見書」において、交代勤務条件の改善の方向について原告主張のとおりの提言をしたことが、それぞれ認められる。
しかし、深夜勤・交代制勤務が、右記載のような特質を有し、その従事者に対して循環器疾患などの健康障害を及ぼすことがあるとしても、体質その他の個人差のあることは否定できないし、事柄の性質上、健康への影響は、長期間をかけて徐々に、しかも間接的な形で現われるにすぎず、直接的かつ明確な形で現れることは、通常では考えられないところである。しかも、長期間にわたる健康への影響を考える場合には、当然のことながら、人間にとって不可避的な加齢現象をも無視することはできない。循環器疾患の成因である動脈硬化も加齢現象として不可避的なものであることは、いうまでもないところである。したがって、長期間にわたって深夜勤・交代制勤務に従事した者に循環器疾患などの健康障害が生じた場合に、それが深夜勤・交代制勤務そのものを原因として発症したとみるべきかどうかは極めて問題であって(後記(三)でみるとおり、循環器疾患などの罹病率が深夜勤・交代制勤務者に特に高率に認められるかどうかについては、学問的にも見解が確立しているとはいえない。)、仮に、深夜勤・交代制勤務が何らかの影響を及ぼしたことを否定することができないとしても、あくまで、一つの可能性を示すに止まるものと解するのが相当である。
これを本件についてみると、前記二2、3に認定したところによれば、治雄が従事してきた深夜勤・交代制勤務は、その期間は一五年余に及ぶが、勤務自体として特に精神的負担及び肉体的負担が大きいものではなく、また、三・一通し勤務のもとでも、次の三・一通し勤務との間には、右勤務による疲労や睡眠の不足も相当程度まで回復することの可能な勤務間隔があったものとみて妨げがないから(昭和四六年に導入された週四八時間制の三・一通し勤務では、次の勤務との間隔は約三一時間あり、昭和四八年六月から実施された週四四時間制の三・一通し勤務では、次の勤務との間隔は約三〇時間あり、三・一通し勤務を五回連続した後には、二日間の休日がもうけられ、また、木場ポンプ所では、三・一通し勤務中に仮眠もとっていた。)、治雄が従事してきた深夜勤・交代制勤務がその狭心症の増悪に何らかの影響を及ぼしたことを可能性の一つとして否定することができないとしても、それが右狭心症を急激に増悪させて死亡の時期を早める原因となったとまでは認めることができない。治雄が従事してきた深夜勤・交代制勤務の内容に日本産業衛生学会交代制勤務委員会がした前記提言に適合しないところがあるとしても、そのことから直ちに、右深夜勤・交代制勤務がその死亡を早める原因となったものということはできない。
治雄の狭心症が、原告において肉体的負担及び精神的負担の過重性を強調し、それ故に、冠動脈の酸素供給の不均衡が増大して発症の誘引となりやすいと認められる勤務中又はそこでの具体的な労作中よりも、主として、就寝中の朝方や食事中などの勤務とは関係のない時間帯に、しかも肉体的、精神的に平穏な状態にあると認められるもとで多く発症していることも、深夜勤・交代制勤務という公務そのものが狭心症を急激に増悪させたとみることを躊躇させる事情である。深夜勤・交代制勤務という公務そのものが狭心症を急激に増悪させる原因となったものとすれば、少なくとも、当該の深夜勤・交代制勤務中又はそこでの具体的な労作中により多くの狭心症の発症があるのが普通と考えられるのに、それが殆どないのはいかにも不自然だからである。
(三) また、原告は、治雄の狭心症の発症そのものが長年の深夜勤・交代制勤務によるものであると主張する。
しかし、《証拠省略》には、「深夜業の連続や交代制勤務時の過労によって、虚血性心疾患、急性心不全などにもとづく死亡事例が多く報告されていることからいって、交代勤務はこれらの特定の疾患を促進すると考えられる。」との記載がある一方、「一般の循環器系疾患は、平均罹病率でみれば必ずしも交代制勤務者にとくに高率にはみとめがたい。」とする学説の紹介もあって、学問的に見解が確立しているといえるかは疑問であるし(なお、《証拠省略》には、「夜勤交代勤務がいわゆる循環器疾患の発症率や死亡率を増加させるという疫学的知見は、今日まで必ずしも蓄積されているとはいえないが、その理由は、こうした疾病を有する労働者が夜勤に就くにあたってあらかじめ選別されていたり、たとえ就業しても悪化にともなって日勤に転じたり、離職したりするため完全なフォローが不可能なことによっている。」との記述があり、右上畑証人も同旨の証言をするが、右理由付けの部分を認めるに足りる資料はない。)、また、《証拠省略》には、「頻回夜勤と心血管系の障害との因果関係の有無の中には、個人差も置いて考えなければならないと思うが、前者が慢性的な疲労を生む危険のある条件であることやストレス作因となりうること等を前提とすれば、個人によっては生理的年齢の進行を速め、暦年齢にも拘らず、高血圧を早期に発呈させ、その進行の基礎の上に、頻回夜業による過労とその過重労働が引き金の役目をして、心血管系障害による急死―脳出血、脳梗塞、あるいは虚血性心疾患―につながる例もないとはいいきれないように思われる。」との記載があるが、これによっても、頻回夜勤と心血管系の障害との因果関係は、一つの仮説ないし可能性を示すに止まることが明らかであるから、治雄の狭心症の発症そのものが長年にわたる深夜勤・交代制勤務を原因とするものと断定することは、困難というべきである。
(四) 原告は、木場ポンプ所転勤に伴う精神的負担の増大及び木場ポンプ所の点検作業における階段の昇降という肉体的負担が治雄の狭心症を増悪させたと主張する。
《証拠省略》によれば、木場ポンプ所のポンプ等の運転方式は遠方操作・遠方監視型(起動、停止等の操作と運転中の監視をすべて監視操作盤によって行うもの)であるが、それまで治雄が勤務してきたポンプ所におけるポンプ等の運転方式は、殆どが手元操作型(操作をすべて手元盤によって行い、特に監視盤による集中制御をしていないもの)であり、わずかに町屋ポンプ所のみが手元操作・一部遠方操作型(起動、停止等の操作は手元操作盤で行うが運転中一部は監視盤によって監視するもの)であったことが認められる。
しかし、治雄は、昭和三五年以来一貫してポンプ所の直員として作業をしてきており、基本的な仕事内容に変更はないこと、木場ポンプ所の監視作業が特に精神的緊張を伴うものでないことは、前記二3(五)に認定のとおりであるから、木場ポンプ所転勤に伴う精神的負担の増大が治雄の狭心症を増悪させたものと解することはできない。また、木場ポンプ所の点検作業における階段の昇降は、特に肉体的に負担となる程度のものではなく(階段の昇降時に狭心症の発症があったことをうかがわせる証拠もない。)、これが治雄の狭心症を増悪させたものとはいえない。
(五) 原告は、木場ポンプ所の作業環境が治雄の狭心症を増悪させたと主張し、木場ポンプ所の作業環境については前記二5(一)ないし(四)に認定したとおりであるが、騒音の数値、臭気の程度、夏季における冷房の程度、冬季における沈砂池作業の頻度等を考慮すると、それほど劣悪なものとはいえず、治雄の狭心症を急激に増悪させて死亡の時期を早めたとまで評価することはできない。
(六) 原告は、東京都下水道局には治雄の健康管理上に適切さを欠く面があり、これが治雄の病状の進行を早めたというべきであるから、これを公務起因性の判断にあたって考慮すべきであると主張する。
東京都下水道局は、昭和四七年八月及び昭和四八年八月の循環器系健康診断において、治雄につき「心電図所見心筋傷害像、冠硬化症、C2」との判定を行っていながら、その後特段の措置をとっておらず、治雄の病状把握について適切さを欠く面がなかったとはいえない。しかし、治雄は、昭和四九年の循環器系健康診断を受けておらず、昭和五〇年一〇月の循環器系健康診断にあたっては問診票に狭心症の治療を受けていることを記載しない等、東京都下水道局が病状を正確に把握できなかったことについては治雄の側にも問題がないわけではなく、また、使用者の健康管理が適切であったか否かは、公務起因性の判断要素の一つとはなってもその決定的な要素ではないと解されるから、東京都下水道局に治雄の病状把握について適切さを欠く面がなかったとはいえないからといって、直ちに公務起因性を肯定することはできない。
なお、原告は、治雄が階段で転倒したことが心筋梗塞を誘発したこと及び治雄の発見が遅れたことが死亡という結果を招いたと主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。
(七) 以上によれば、本件災害について、深夜勤・交代制勤務という公務そのものが狭心症という基礎疾病を誘発し又は急激にこれを悪化させて死亡の時期を早める等、それが基礎疾病と共働原因となって死亡の結果を招いたものということはできない。
なお、《証拠省略》には、治雄の身体的素因や生活習慣のうえでは狭心症のリスクファクターは殆ど見出されず、非生理的な深夜勤務を含む交代制勤務への長期間の従事、三・一通し勤務の導入と拡大によるこれら夜勤負担の増大、勤務場所での階段昇降による肉体的負担の増加、機械騒音による睡眠の妨害や夏季における冷房による負担等の作業環境上の有害性の存在、大規模ポンプ所での機械監視方式での責任負担の増大による精神的ストレスの増加等の公務における身体的、精神的負荷が治雄の狭心症の悪化とその死亡につながったと考えられるとの記載があり、証人上畑鉄之丞も同旨の証言をするが、右各証拠は、三・一通し勤務の負担、木場ポンプ所における直員の作業負担及び木場ポンプ所の作業環境等の評価の点で前記の説示とは異なるものであって、採用することができない。
3 したがって、治雄の死亡に公務起因性があるとは認められないから、これを公務外と認定した被告の本件処分に違法はないことになる。
六 よって、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 太田豊 裁判官 山本剛史 裁判官水上敏は、転補につき署名、押印することができない。裁判長裁判官 太田豊)